それにしてもかぼちゃが旨い。
36年間嫌いだったのに。
かぼちゃの煮付け。
食卓に出されても一切箸をつけることなく、小分けにされても必ず残していた。
もさもさネトネトした食感と、あの甘さ。
ただでさえ、噛むほどに消化酵素の分解による麦芽糖で甘く感じる白米に対してどう考えても合わないだろうと、子供の頃に食べて以来苦手だった。
大人になってお酒を飲むようになってくると、いよいよかぼちゃの煮付けのポジションが理解できなくなってくる。
ビールに合わない。白米に合わない。いつ食べればいいのだ。
あまり積極的に関わろうとしてこなかったかぼちゃではあるが、だがしかし、子供に食べさせるとなると話は別だ。
ごつごつとして濃い緑の硬い皮に守られ、それでいてずっしりと隙間なく詰まった黄色の身は、どうみても栄養がありそうな見てくれをしている。
であれば、親の好き嫌いで食べる機会がないというのはいかがなものか。
試しに煮付けでも作ってみるか。と、先日近くのスーパーから四つ切りにされたかぼちゃを買ってきたのだ。
適当なサイズに切り、醤油、砂糖、塩を少々いれコトコト煮込む。
すると、落し蓋の隙間をとおって立ち上る蒸気から何やらいい匂いがしてくるのである。
36年間も遠ざけてきたかぼちゃの煮付けとは、こんな芳醇な香りのするものだっただろうか。
しばらく煮込み水分を飛ばし切ったところで数切れ皿に取り、ひと口頬張ってみる。
さらにふた口目。
さらに箸で口へ運ぶ。
わずか数分で皿の中のかぼちゃがなくなってしまった。
旨い。
食わず嫌い確定。
かぼちゃの煮付けがこんなにもホクホクした食感で、味わい深いものだったとは。
それとも、自分で作るというのが重要なのだろうか。
それなら今度あずきでも仕入れてあんこでも作ってみようかと思っている。