それでも結局のんびり水やりをしてしまう

それでも結局のんびりと水やりしてしまう│aruimag

2年程前、瓦チップを使ったガーデニングのワークショップでシェフレラを手に入れた。

当初、高さ20cm程の苗を直径12〜13cmの鉢に植えていたのだが、その小さな鉢の中の隅々まで根がまわり込んで窮屈そうにしていたので、先月ひとまわり大きい鉢に植え替えを行なった。

11月も半ばを過ぎ、外に出れば手をポケットに入れたくなる寒さになっていたので、うまく活着してくれるかと心配になりなるべく気温差のない場所に移動してあげたり丁寧に日差しを浴びせたりしていたら、シェフレラ君はしばらく出してなかった新芽を覗かせたり根っこもぐいぐい伸ばして快適そうである。

こうなると這えば立て、立てば歩めの親心で今度はその新芽にもっと伸びろと檄を飛ばす。

しかしながら、植物の成長とはこんなにも早く変化に富んでいるものかと。

こんな風に感じてしまうようになったのも、子供の時と大人になってからでは、やはり時間のスケール感覚が変わってしまったからだろうか。

1日、1週間、1ヶ月の時間のスケール感覚がどんどん短くなっていって、いや、短くなるというよりも動画のfpsのように1秒間のコマ数が少なくなっている感じだ。

コマ数が少ないので、そこに詰め込める情報や感情の密度が年々低くなっているような感覚。

子供は120fpsで生きてるのに、今の僕はといえばきっと24fpsくらいで生きているのだ。そのうちもっと荒くなって、カクカクした動きになって、トビトビの記憶しかなくなって。

でもね、スケール感覚は違えど結果は同じところに到達するわけ。

それならアクションだけでも無理やり詰め込んでみたら、振り返るとタイムラプスみたいでおもしろいね、ということになりはしないか。